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語彙力のない小説家は、一時の書き込みに落ちた

ライブ配信 掌編小説

幼いころより物語を書くのが好きで、小学校低学年の頃は絵本を作ったこともあった。

家内では好評で嬉しくて続編を作成したこともあった。

だがゲームにはまるようになって、私は筆を止めたのだ。

それから長い歳月が経ち、大学4年生の今、突然に物語を書きたくて仕方がなくなったのだ。

大学に入り、恐らくものの見方捉えかたが変化し、見たり読んだりするもの良いが、書くことも何かとやってみたい、自分の想いを綴ってみたいと思った。

しかし実際にwordを起動して書いてみればどうだろう。

今まで読んできた小説や漫画と比較すれば、自分の直感で書いた文章というのは拙いと感じた。

その時初めて自分の作品が駄作だと悟った。

仕方ないから一度文面を書き、そのうえで推敲するという二度手間な作業を行い、重複する言葉を同意語に差し替えた。

日本語とは一つの想いを伝えるのにでも、これほど広く言葉が存在しているのかと推敲していて思った。

そして自分の作品が完成を遂げ、ネット上の投稿サイトに掲載した。

しかしどれだけ自分が想いを綴っても、自分の最大限を尽くしても自分の作品が読まれることはなかった。

あれだけ時間を費やして頑張っていたのにアクセスの一つもないなんて、もうやめてしまおうかなと思っていた。

だが、自分は少しの苦痛があっても物語を描くのは好きだ。

好きなことできる限りやっていたい。

せめて評価さえあればモチベーションが上がるのだけれど・・・。

他の小説家の意見には、酷評でもコメントが来ることは嬉しいとあった。

実際そうなのだ。

自分の作品へ何かしらのアクションがなければその作品は死んでいるも同然なのかもしれない。

いやそうに違いない。

そう思いつつ作品を執筆して二か月が経過した。

ついに自分の作品へ待ちに待ったコメントが付いたのである。

「こういう世界観、とても好きです。次回も期待しています。あと私はもっと評価されるべきだと思います。」

そのコメントが来たことが要因なのか、それとも作品を布教してくれたのかはわからないが、死んだと思われていた私の作品が潤い始めた。

こんな作家にとって嬉しい世界を与えるきっかけを作ってくれたあの人を一目見てみたいとネットへの書き込みでコンタクトを取ろうとしたが、さすがに同じ作品を二度見ることはないのか、返信が来ることはなかった。

あの読まれなかった頃を思い返すと、コメントがなければどんな人が読んでくれたのか、自分の作品のクオリティはどうなのか、いろいろとわからないことだらけで、負のスパイラルに陥ってしまう。

でもそんな中、次回作の期待を押してくれた。

純粋にそれが嬉しくて仕方がなかった。

その言葉一つが、私がまた作品を書こうと思えた一つのきっかけかもしれない。

多分それがなかったら、今頃執筆をやめて何か違う趣味を探していたかもしれない。

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