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人工的な能力を作るのにご協力を

遺伝子 掌編小説

近年人工的に掛け合わせをしてみたり、遺伝子操作をしたりすることによって自身や自分の娘、息子の基礎能力を意図的に高めるというのが話題になっている。

一体具体的にどのよううなことを行っているのかというと、頭脳は人のままで、脚力は馬、聴覚や嗅覚といった器官は犬の遺伝子を受け継がせるといったものだ。

容姿まで変貌してしまうのではないかと恐れられていたが、実際やってみるとそういった変化はみられなかった。

人であるから五感で得た複雑な情報を言語化できるというメリットがある。

その者の使いようによっては優れた研究対象にも兵器にもなりえる。

もって生まれた分にはいいが、元からなかったものを後で付加すると違和感が強く、五感のせいで不快になるといった便りもあった。

特に嗅覚、聴覚の面で犬レベルで変化していることから人間の数倍も機能が優れているがゆえに様々匂い、音がその場にいるだけで混在してしまい、脳が混乱するのだという。

これが生まれながらに備わっていたものはこれを不快と思わず、普通、当たり前として認識していた。

やはり慣れた世界観を強制的に崩すべきではないとその時悟った。

脚力の向上に関しては重宝しているようで、力仕事をするときには特に便利だとコメントしていた。

ちょうど遺伝子組み換えの手術を受けた脚をもつ40代の男性は筋肉の衰えを強く気にしていたようで、手術後に若者と同等かそれ以上の筋力をもつ脚になって嬉しそうにしていた。

このように人体を改造するタイミングや部位によっては人を内面から侵食していく可能性もあるので、注意が必要だ。

我々医者もその点の質疑をとり、合意の上で手術を施すことに徹底している。

このシステムを導入し、遺伝子がらみの実験を行いすぎての末路なのかはわからないが、我々は奇病を目の当たりにした。

皮膚は堅く、緑色をしている。

まるで怪物のような容姿だ。

これを人と呼ぶことは難しい。

そういった差別的な受け取り方をしてしまう、現状から目を瞑りたくなるのもしかたいないという一言で終わらせてはならない。

この病の発症原因が我々の研究にあるのだから。

この堅い皮膚で覆われた赤子をどうすれば元の、いや理想の人間の姿にすることができるのだろうと苦悩した。

考えが明確化する前に私は遺伝子改良のマシンに手をかけた。

やりながら考えるしかない。

そう思ったからだ。

果たしてその赤子は生きたいと思っているのだろうか。

このまま死んだ方が楽なのではないだろうか。

まだ己の思考を言語化できぬ赤子にそんなことを問うても意味がないことはわかっていた。

電気メスとマシンをそれぞれ手に持ち、私は黙々と毎日自分の行いを悔いながら人を人の形に直していく。

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