僕はいつも冴えない。
周りのほうが結構輝いているけれど。
いつも
「お前が一緒にいてくれることで気が楽になれるんだ」
とか、
「君がいないと僕を綺麗に写真に収めてくれる人はいない」
だとか言ってくれる。
彼らはみな輝いていて、僕とは対照的だ。
でも僕は目立たない立ち位置、いわばモブ的存在に開放感と至福を得ている。
なぜなら、輝いている彼らを後押しできる力が自分にあるのだと彼らによって自覚させられるからだ。
輝いている人間は何も、たった一人で輝き続けているわけではない。
輝き続けるには自分の欠点を補ってくれる存在が必要不可欠なんだ。
だから、僕にできて彼らにできないことを僕が代行していく。
これによって僕らは対等な関係に立ち続けているんだ。
「陰ながら見守ることは退屈か?」
一緒に働く演出家に言われた言葉だった。
たぶん、認められたことのない時分だったころなら、はいと一言だっただろうけれど、今は、
「いいえ、そんなことはないです。なぜなら、」
と続けて言うことができる。
「なぜなら、人を支えることってとてもやりがいがあって、成果もちゃんとついてきて、何より感謝されるんです。これいじょうないってくらい。」
自分は学生時代全く評価されてこなかった。
特筆すべき特徴もなく、部活も何となく入った吹奏楽部を淡々とこなし、専門学校に進学するも、映像技術を会得する以外にやってきたことはない。
高度な技術を持っていたわけでもない。
そもそも、自分から率先して道を切り開こうとしてこなかったから、途中で技術の進歩が止まってしまったんだ。
自分の作りたいものが明確ではないから。
卒業研究はそれゆえにかなり悩まされたものだ。
作りたいものが頭の中にないのだから。
目的もなく生きていた人生に、まぶしい光の彼ら、バンドのみんなが僕にチャンスを与えてくれた。
とあるネットに僕がなんとなく投稿したMVをきっかけに。
「なぁ、うちでMV作ってくれない?きっと君はセンスがあって僕らとマッチすると思うんだ」
最初は生半可で半信半疑だった。
だけれど関わっていくうちに、君はすごい!天才だといわれるようになった。
額もない、過去を掘り返せば散々な人生だったけれど、今生きている人生は、最高に輝いている。
モブとして彼らを支える僕は、僕の心は、誰よりも魂がもっと輝きたい、輝かせたいと想いを鼓舞させているのだった。
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