放課後の図書室。窓際の席には、いつも彼がいた。
背の高い本棚に囲まれた静寂の中で、彼――藤崎蒼真は、何かの本を読んでいた。彼の長い指がページをめくるたびに、私はこっそりと彼の横顔を盗み見てしまう。
「……何読んでるの?」
勇気を出して聞いた私、宮坂千尋に、彼は驚いたように顔を上げた。
「ああ、千尋か。これ?恋愛小説」
「へぇ、蒼真が恋愛小説読むなんて意外」
「たまたま手に取っただけ。でも、結構面白いんだよ。ほら、ここ」
彼が開いたページには、まさにクライマックスのシーン――主人公たちが初めてキスをする場面が書かれていた。
ドキリとする。
「……なんか、恥ずかしいね」
「そうか? 千尋は、ファーストキスの理想とかある?」
「えっ……」
思わず沈黙する。考えたことがないわけじゃないけど、まさか彼に聞かれるなんて思わなかった。
「うーん……ロマンチックな雰囲気で……好きな人と……?」
そんな曖昧な答えしか返せなかった。
すると、蒼真は少し考えるように私を見つめ――不意に、小さく笑った。
「じゃあ、試してみる?」
「えっ?」
心臓が跳ね上がる。冗談、だよね?
「いや、なんでもない。忘れて」
そう言って本を閉じる彼の横顔は、どこか照れているように見えた。
もしかして、彼も……?
私は本を握る手に力を込め、言葉を絞り出した。
「……試してみる、って、どういう意味?」
「そのままの意味」
蒼真がゆっくりと顔を近づけてくる。
図書室の静けさの中で、彼の呼吸がやけに近く感じた。
ふわりと、唇が触れる。
一瞬で終わったその感触に、私は目を見開いたまま固まる。
蒼真は少しだけ照れくさそうに笑い、
「これで、千尋のファーストキスはロマンチックだった?」
と囁いた。
私は真っ赤になりながら、うまく言葉を返せなかった――。
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