登場人物
ゆりか(主人公)
父
母
所要時間 約20分 (VOICEPEAK計測)
ゆりか「ただいま」
父「お帰り、ゆりか今日はずいぶんと早かったな」
ゆうか「(現在は就職氷河期。言葉上では売り手市場なんて言っているけれど、名門に通う私ですら、私の友達ですらまだ内定をもらえていない。3月で決めなきゃいけないのに)」
父「どうした?顔にすごい汗をかいて・・・調子でも悪いのかい?」
ゆうか「なんでもない。ただ、なんで私が生きるだけでこんなにつらい思いをしなきゃいけないんだろうなって思って・・・。こんな時代に私を産むことを決意したお母さんが憎いよ」
父「ゆりか・・・お父さんはゆりかが生まれてきて本当に幸せだと思っているよ。」
ゆうか「お父さんにはさ、ちゃんと大切にされてるっていうのが態度としてわかる、けれど、お母さんには少なくとも私が12歳のころまでにそれを感じた記憶がない。
もう16歳になっちゃってお母さんも天国だけど、いまだにお父さん一人を置いていって逃げたお母さんをどうしても許せる気はしない」
ゆうか「(そんな自分のうまくいかない理由を亡き母親にぶつけていたのかもしれない。
だけれど、自分の母親が何をやってもダメダメだったことくらい覚えてる。
家事も仕事もまともにできる人じゃなくて、いつもお父さんにすがってばかり。
お父さんの肢をひっぱってるのはコイツなんじゃないかって思った。
死んだときには清々したよ。
やっとお父さんの重荷が下りるって思ったからだ。
だけれど、それは本当に一瞬に過ぎなかった。
今度は私に呪いのように不幸が訪れた。母を憎み続けた天罰なのだろうか?)」
父「今はゆりかの大好きなハンバーグ作ったぞ、一緒に食べよう」
ゆりか「食欲内から、いらない。(そうぶっきらぼうに答えて、私はリビングを後にした)」
ゆりか「(階段を駆け上がってベッドに横たわり、なんとなくぼーっと天井を見つめていた。)」
ゆりか「私何やってるんだろう・・・」
ゆりか「(なんとなくスマホで開いたSNSアプリでおすすめに表示される内容は、就職難を訴える同世代や現役大学4年生、食料に困窮することを訴える報道、寝ている間にこの世からいなくなりたいなどの書き込みが後をたたない。
こんな不安定で世界秩序も乱れ、最低限の幸せもないこの世の中で、どう私たちが楽しんでいけばいいというのだろうか?ネットの彼らの更新頻度は依然として、何一つとして変わることはなかった。
そしてその更新頻度も多い。きっと彼らが世間でいうニートという存在なのだろう。」
ゆりか「きっとお母さんは私に未来への希望を押し付けたんだ。
もう直接それを伝えることができないのがむず痒い感じがするけれど、きっとそうなんだ。
大人は身勝で不器用だ。
勝手に産んで無責任にも私に、私たちにガンバレだなんて・・・。
一体何を頑張ればいいのだろう?
勉強ができたって学校という狭い空間でちやほやされるだけに過ぎなかった・・・」
ゆりか「ああもう。」
ゆりか「(私は自分の枕を壁に投げつけた。
ボスっという鈍い音が静寂の中に響くだけで、この世界に変革をもたらすわけでも何でもない)」
ゆりか「(突発的に思い立って、亡き母親の部屋に入っていった。
乱暴に引き出しを開けると、そこにはたくさんの手紙が入っていた。)」
ゆりか「そういれば、お母さんの部屋に入るのって初めてだったな。
なんで今まで入らなかったんだろう。」
ゆりか「(手紙一つ一つに手を付けていく。
一件誰に宛てたのかもわからない手書きの手紙だったが、中身を読んで、私の心臓は高鳴った。
そして、そっと、引き出しの戸を閉めて、部屋を後にした)」
ゆりか「あんなもの、私には関係ない。まやかしに過ぎない。」
ゆりか「(だけれど昨日開けた引き出しが学校にいる間もずっと気になっていて、授業中は上の空だった。
ほかのクラスの友達に話をかけられても、引き出しのことで頭がいっぱいでダメになっていく私。
ああ、あの書類の数々、いったい私に何を見せつけているのだろうか?)」
ゆりか「(まだお父さんは帰宅していない、家に帰ってきた私は、そそくさと頭の9割を支配している引き出しへと吸い寄せられていく。
昨日見たあの光景は本物だったのかと疑いつつも、再び引き出しを開ける。
ゆりか「(私は引き出しの中から、かなり年期の入った日記帳を取り出した。
ところどころに年期を感じさせるシミがあった。
中身をぱらぱらとめくっていくと、それに母がかなりこまめに日々にあった出来事を詳細に記載していたことがわかった。)」
ゆりか「これが日記・・・お母さんの!?」
母「ゆりかは私の生きる希望、虚弱な私の中で唯一の宝物。たけるさんと同じくらい大切な人」
ゆりか「(たけるというのはお父さんの名前だ。)」
母「ずっとこの子の笑顔を見ていたいけれど、それもできそうにないことがわかってきた。
だからすべてをたけるに託すことになるけれど、きっと大丈夫。あの人のことだから私の遺品すらも捨てられない人だから、きっとゆりかを誰よりも大切に育ててくれるはずだ」
ゆりか「(たまたま開いた日記のページにそう綴られていたことを知った私は、自分の考えがそもそも間違っていたかもしれないと疑いの気持ちを持ち始めた。
今までは、母親が無責任にも私を捨てたのだと思っていた。
だけれど、それは違ったという可能性が出てきた。
どうしてこんなにも涙が止まらないのだろう。
今まで大切にされていたって最初から知っていたら、お父さんにあんなひどいことを言わなかったのに。)」
ゆりか「(私はさらに前の方のページを開いた。)」
母「今日は私たちにとってかけがえのない日になった。
新しい命が誕生した。ゆりか。
うちの可愛い大切な、誰よりもかわいい、かけがえのない宝物だ。
それが私のお腹に宿っているって知れただけでもとっても嬉しかった。
私の身体が弱かったから、たけるは妊娠に消極的だったけれど、私の願いを何度も苦悩しながらも受け入れてくれた。
私を失うかもしれない。それと引き換えに娘が手に入る。
そんな駆け引きは僕にとっては耐えきれない、僕が恋したのは、熱烈に愛してきたのは誰でもない君だと言ってくれたことが非常にうれしかった。
でも私は最初から短いとわかっていた運命に抗いたかった。
もしかすると、生まれてくるこの子も短命なのかもしれない。
それでも私は一つの通過点として・・・」
ゆりか「そこまで読んで、少し嫌悪した。
こんなの親のエゴじゃないか。
自分が生みたいからって全部をお父さんに背負わせてやっぱり逃げたんだ。
大切にしているっていくら後で言ったとしても、子供を作ったという結果論を達成目標としてカウントしているだけじゃないか。
こんなのあんまりだ。
でもどうだろうか、ほとんどの家庭の子供が本当に心からうまれてきてよかったと思えていないのだとしたら、やっぱり強いエゴが影響しているのだろうか。
だから私みたいに、子育てが面倒になったら母親に捨てられる運命なのだろうか?
産んでみたはいいけれど、想像以上に母体への負荷が大きくて、耐えきれなくて、自分の命と引き換えに私とお父さんを残して、あの世へ旅立ってしまった。
それが親として正しいと思える選択だったのだろうか?
私にはわからない、わからないよ。
どうしてそこまで無責任になれるの?
産みたいだけで産んで、そこから先の私の未来は約束されていないじゃない!」
ゆりか「(一人部屋で日記に向かって強く叫んでいた。
誰かにこの光景を見られれば、精神的に異常があると思われるのかもしれない。
でも違うんだ。最期まで面倒を見るつもりがなかったともとれる記述に憤りを憶えていた。
だって、私へ不幸を運んだ元凶は実の母親なのだから。)」
母「つわりがひどくて、毎日吐いてばかりだった。きっとお腹の子が元気な証拠なんだろうけれど、ちょっとだけつらいかな。
でもこの子の顔を見れる時が来るって思うと自然と頑張れた」
母「やっと生まれてきてくれた。
私たちの可愛いゆりか。無事に生まれてきてくれてありがとう。
こんな私が子供を授かったと知ったとき近所の目はとても冷たかった。
だけれど、私はあなたを産んだこと片時も後悔したことはない。
これから未来が沢山あふれていて、可能性に満ちているかわいい赤ちゃん。」
ゆりか「そんな・・・、私は素晴らしい人間にも慣れなかった、ただ敷かれたレールに従って生きているだけに過ぎない。
自分で選択するときになってようやっと人生の厳しさを知ったんだ。
自分には何も才能がないってそう悟ったことも何度もある。
就活で試験に落ちるたびにそう思ってきた。
もうこの世の終わりなんじゃないかってくらい後悔した。
どうしてもう少し頑張れなかったんだろうって・・・。
そうか…私は、自分の頑張れない理由を他責にしていただけなんだ。
無意識のうちに亡きお母さんのせいにして自分の能力不足を全部産んだ親のせいにしてきた。
自分が幸せだったら産んでありがとうって言っていただろう。
だけれど、それを逆行する今だからこそ、憎悪が増幅していたんだ。」
ゆりか「(それでも、この世の中が厳しいってわかっていたはずなのに、どうして私を産んだの?答えなんて返ってくるわけがないそうわかっていても考えずにはいられない。
結局は自分のエゴなんだよ)」
父「どうしたんだいゆりか?顔色が悪いぞ?何かあったのかい?」
ゆりか「別に、何もない・・・」
父「そうか、無理はするなよ?何かあったら相談してくれ」
ゆりか「わかってるよ・・・」
ゆりか「(正直にお父さんに打ち明ければいいのに、反抗期だからなのか、思春期だからなのか、いつも反対のことを言って、お父さんを拒絶してしまう。
なんでなんだろうね。私ってホント不器用だ。)」
ゆりか「(私は再び手帳を手に取っていた。
一度気になりだしたら、最期を知るまで私はやめることができないって完全に自分を理解していたからだ。そんな歯止めの利かない巣窟に足を踏み入れた私に待っている運命は、開放か、沈降か。
今のところ後者になるかなと思うところが多いけれど、わずかながらにぶれ始めている自分がいた。
たとえエゴで産んだとしても、私を、私という存在を受け入れて大切に育ててくれたという事実には変わりはない。それをわかっていても、反射的に否定してしまうのだ。
この感情に名前を付けるならなんというのだろうか。
私の頭には有識者はいないようだ。
ただ教科書で問われたことを反芻するだけ、暗記しただけの存在。
基礎知識の概念がそれだとして本当に役立つタイミングというのが現状全く分からない。
SNSに影響されたからか、学校の勉強なんてすべて無駄化のようにもとらえられてしまうけれど、その考えに無理やり蓋をすることと同じように、母親の愛情にも蓋をしようとしている。
私は忘れたがっている、遠ざけたがっているのに、続きが気になって知ろうとしている。
なんでこんな矛盾した毎日を最近は送り続けているのだろうか?)」
ゆりか「(ここまでは流し読みに近かったが、今度はしっかりと読んでみようと思った)」
母「ゆりかが大きくなるにつれて、この世界は大きく衰退や崩壊の一途をたどるばかり。
こんな状態で、この子が未来を渡り歩いていけるかだんだんと不安になるけれど、この子を信じて未来に賭けたかった。
だけれど水質汚濁や環境汚染、急激な物価高や増税。
未来を生きるのには非常に苦しい世界が誕生している。
政府は恒久的な国づくりと謳っているけれど、私はこの子の未来が心配になってきた。
AIの台頭で職を失う人も増えているし、きっとこの子はかなり苦労することになると思う。
だけれど、私は、この子を産んだことを後悔はしない。私が死ぬまであとどれくらいあるわからない。
大好きなゆりかのためにできることをたけると相談しながら模索していこう。
この子にどんな明るい未来を見せてあげられるだろうか?」
ゆりか「それでも、私を産んだ。理解できない」
母「正直なところ、ゆりかを育てる中で不安を感じないわけではない。
でもゆりかが無垢に笑って毎日笑顔を見せてくれるたびに、成長していく様子を見るたびに、まだこの世は荒んではいないって思えるの。
黒い箱の中に照らされるひとしきの光。
それがゆりか。この子を産んで心からよかったと思う。
この子が生きている、それだけで私の心は満たされる。」
ゆりか「(私はこの記述に胸が強く締め付けられる感覚を覚えた。
たとえエゴだったとしても、この絶望的なセカイの中で自分の実の娘を希望の光として育て続けていたのだ。
自分がつらい時も決してぶれることがなく、強い信念を持って・・・。)」
ゆりか「(ページをめくっていると、ぱらりと古びた1枚の写真が床に落ちた。
拾い上げると、まだ幼いころの私と若いころのお母さんが映っていた。
母は、ゆりかを抱きしめ、満面の笑みを浮かべている。
ゆりかの顔にも、屈託のない笑顔が浮かんでいた。)」
ゆかり「なんだ、私、すごく幸せそうじゃないか・・・。
こんな頃も・・・あったんだね。」
ゆかり「(大粒の涙が次々に零れ落ちて止まらない。
この湧き上がる感情は一体何なんだろうか。
怒りや苦しみではない、きっと別の感情だ。)」
ゆりか「(私は珍しくリビングでテレビを見ていた。
その時に目に飛び込んできたのは、日本の食糧危機に関するニュースだった。
またか・・・そうため息をこぼしそうになるほどに、この国に希望を持てなくなっていた。)」
ゆりか「お父さん、なんでお母さんは、私を産んだんだろうね。」
ゆりか「(お父さんは驚いたようにゆりかを見つめた)」
父「ゆりか・・・」
ゆりか「(お父さんはしばらく考え込むと、重い唇を開いて言葉を紡ぎ始めた)」
父「お母さんはな、お前を産むことについて、ずっと悩んでいたんだ。
この世界で、お前を幸せにできるのかって」
ゆりか「(ゆりかの心臓が、大きく脈打つ。)」
父「でもこうも言っていた。この世は完全に希望がなくなったわけじゃないんだって。
わが子がすくすくと育っていく。
その姿を眺めいてることがどんなコンテンツよりも退屈しなくて、愛おしくて、支えてあげたくて・・・誰よりも・・・大切にしたいと」
ゆりか「(お父さんは目を真っ赤にして泣いていた。
昔のことを思いだしたのだろう。
きっとあの日記に書かれていたことは本当だったんだ。
私はこの一家でかなり大切にされて育てられていたし、SNSにいる人と勝手に比較して、私のほうが不幸だなんて勝手に陣取っていたことが恥ずかしくなる、おこがましく思えるほどだった。
父「お母さんは、ゆりかが生まれてきてくれたことを心から感謝していた。
だから、ゆりか、お前は、お母さんがこの世界に残した、最高の宝物なんだよ」
ゆりか「(ゆりかの目から、再び涙が溢れ出した。それは、今まで彼女が抱えていた、母への憎しみや怒りとは異なる、温かい感情だった。)」
ゆりか「(いつもの日課で、お母さんの日記の続きを辿る)」
母「ゆりかが初めて歩いた日。転んでは泣き、また立ち上がろうとする姿に、胸が熱くなった。
この子の生命力に、私はどれだけ勇気づけられているだろう。
ゆりかが初めて私をお母さんと呼んだ日、今でも忘れられない思い出。
まるでたけると出会ったばかりの私のように、風景に新たに色が着色されていくようだった。
このモノクロの世界に暖かな色味が付加されていく。
この子の成長を見守れると思うと、とても幸せだ。」
ゆりか「ゆりかは、その記述を読みながら、幼い頃の記憶を辿る。
断片的ながらも、母との温かい記憶が蘇ってきた。
母が自分を抱きしめてくれた温かさ、優しく語りかけてくれた声、一緒に笑い合った時間。
しかし、それは長くは続かなかった。)」
ゆりか「(そして、日記の最後のページには、ゆりかが13歳の時に、母が病に倒れた時の記述があった。)」
母「昨日まで元気だったのに、急に体調が悪くなった。
今は入院病棟の中。もうゆりかの可愛い顔を拝めないのかな・・・。
ああ、会いたい。今すぐに抱きしめたい。あの子のぬくもりを感じたい。
易しく頭を撫でてあげたい。あの子の未来を見届けてあげたい・・・」
母「ゆりか、もし私がこの世を去っても、どうか幸せになってほしい。
この世界は厳しいけれど、あなたには、その厳しさに負けない強さと、誰かを愛する優しさがある。たとえ私がそばにいなくても、あなたの心には、たくさんの光があることを忘れないで。
そして、いつか、あなたがこの世界に、希望の光を見つけてくれることを、心から願っているわ」
ゆりか「こんなのずるいよ。私だってお母さんとハグしたい。」
ゆりか「(ゆりかは、日記帳を抱きしめた。
母は、自分をこの世界に産み落としたことを後悔していなかった。
むしろ、ゆりかという存在そのものが、母にとっての希望だったのだ。そして、母は、ゆりかに、この世界に希望を見出すことを託していた。)」
ゆりか「(ゆりかは、父と一緒に食卓を囲んでいた。いつものように沈黙が流れるが、今日はどこか温かい沈黙だった。)」
ゆりか「お父さん、私、母さんの日記を読んだよ」
父「そ、そうか、あれを読んで辛くはならなかったか?」
ゆりか「正直もっと早く言ってほしかったってところはあるけれど、私ね、お母さんを好きになれる気がしてきた。
あんなにも私を大切にしてくれてたことをずっと忘れたくない」
ゆりか「(ゆりかの目には、まだ涙が浮かんでいたが、その表情は以前よりも穏やかだった。)」
父「そうか……。お母さんも、きっと喜んでいるだろうな」
ゆりか「うん。私、母さんが残してくれた日記から、たくさんのことを学んだ。そして、母さんが、私に託してくれた願いも」
ゆりか「(ゆりかは、父の目を見て、まっすぐに言った。)」
ゆりか「私、この絶望的な世界で、希望を見つけたい。そして、母さんが私にくれた命を、大切に生きたい」
ゆりか「(父は、目頭を押さえながら、大きく頷いた。)」
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