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連想の小槌

私色日記Ⅲ

打ち出の小槌といえば、振ると何かとモノを実体化することで、幸福をもたらしてくれるものだろう。

しかしそれは童話の中だけに過ぎなかった。

この世には魔法も何も存在するわけでもないし、だからと言って、魔法の存在を望まないわけでもないし、むしろ現実に魔法が出てきてほしいと強く願うほどだ。

喉から手が出るほど欲しいその魔法とやらは、魔女狩りを期に存在をなくしてしまったのか、はたまた、逸話なのか、それともも、ともと存在しない創作の中での話なのか。

こんなに私の脳内の胃袋を空っぽにしてしまうほど、発案者に対して嫌悪感を抱くばかりだ。

今この場に打ち出の小槌があったのなら、私なら何を願い、振るうのだろうか? 10分ほど考えただろうか。

小一時間ほど考えることになりそうな話題だなと思って、タイマーをあらかじめ10分にセットしておいてよかったと思った。

だけれど、10分経っても答えが出ないのだから、きっと1時間たっても答えなんて出ないのだろう。

そう短絡的に考えてしまうのは私の悪い癖だろうか?

だけれど実際そうだろう?

何時間も小説の続きが書けないからって悩んだ末に絞り出して書いた物語が、良質な物語だったことはあるだろうか?

それと同じように、アイデアという観点では共通していると思うんだ。

短時間考えて答えが出ないのなら、長い時間悩んだって結果は同じ。

答えを導くだけの知識が私に備わっていないのだから、まずはベースとなる部分を補填しないといけない。

でもそうだね。

あえて言うなら、打ち出の小槌で飽きるまで願いを叶え続けてみたいものだ。

何をという概念は、さっき言ったように、私には答えがない。

だからその時思いついた、ひらめいたことを直感的に再現していくのさ。

まるで魔法のようにね。

「そうか、打ち出の小槌は和風の魔法道具なんだ」

そんなことを考えながら、妄想にふけっていた。

時刻は夜の11時を指していた。

今日もまた、脳内で繰り広げられる与太話、戯言は、私に希望でもあるようで、不安を増大させたりもする。

波あるものが人間らしさなのかもしれないけれど、私はそんな私自身が愛おしかったりする。

特別ではないからこそ、特別なものを連想できるのだと。

ああ、こうあってほしい。

そんな理想を掲げることができる者が、きっと連想という打ち出の小槌を操るのかもしれない。

作家や音楽家、映像クリエイターといった様々な表現方法で、私たちはまた、今日という日を歩き出す。

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私色日記Ⅲ

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