あの時感じていた感覚が、今その場で起こっているかのようにフラッシュバックする。
子供の時は自信に満ち溢れいた僕も、いつのまにか自信を無くして湯船につかるたびに、ため息ばかりをついていた。
なんだろうな、このやるせなさは。
学生の時には無限に満ち溢れていた自身が、今では毎日引かれているレールが何一つなくて、不安が募るばかりだ。
このやるせなさを解消してくれるものはにかないだろうか?
そう思って手を付けたのが小説だった。
僕がうちに秘める物語を綴るきっかけになった理由。
それが小説だった。
読んでいるとどこか物語の中を旅行いしているような気分になれるし、書いていると、自分のことをもっといろんな人にわかってもらいたいという想いに駆られていく。
時が過ぎて、2025年になった。
僕は無名な小説家だ。
だけれど、物語を書き続けている。
生み出し続けること、発表し続けることが僕の生きている証だと思っているからだ。
吠えるように、自分をアピールするように、息をするように。
もっと僕を、僕だけを見てほしい。
そんな欲に満ちた感情が織り交ざった作品だけれども、その作品の数々には僕の想い、葛藤がたっくさん連なっていた。
気づけばそれは10万文字にもつらなり、いつの間にか本といえるような形になっていた。
僕は無名だ、だけれど声に出して、今この作品を読み、発信し続けることで、似たような境遇の誰かに、この想いがきっと伝わるはずだから、僕は書く。
自分を表に出して露わにして、批判されるのが最初は怖かった。
自分のことを知られると幻滅されると思った。
だけれどそうじゃなかった。
人の欲望は発信することでふつふつと湧き上がり、もっと、もっとくれとなっていくのだと知った。
だから僕は毎日小説を供給し続ける。物語を生み続けるのです。
これがかまの悠作の生涯、生き様なのだろうと。
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