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それぞれに映るセカイ

色彩 掌編小説

昔から人を見るとその人が能力者なのか、どんな能力を持っているのか言い当てることができた。

自分の能力を認知している人はいるが、それはごく少数である。

それに加えこれから宿る能力もその日も予言できてしまうことから、自分の子に期待を込めて僕のところにたくさんの人が集まった。

結果を知らされるものの大半は何の能力も宿っていないし、これからそれが変わることもない。

つまり普通の人間なのだ。

僕はたまたま必要とされているからいいが、必要とされず、自分の能力が何に使えるのかわからず、日々苦しい思いをする人がいるのも事実だ。

そんな人への救いになればいいと僕は思っている。

自分の能力について認知していながら、その能力の使い道、引き出し方についてわかっていない人も数名いる。

そんな彼らに僕は懇願されつつも、救いの手を差し伸べる。

助言は早いに越したことはない。

認知が早いだけ我が子が確実に得をするのは間違えなく、僕は瞳に映ったものを正確に的確に伝えていく。

過去、自分にとって不要な能力を宿す予定となっている一人の男性がいたが、助言のもと家族が対策を講じると言ってくれたから心底安心している。

私は手相を見るだけで死までの日数及び、死因を的確に当てることができる。

私の予測は必ず的中するため確定した未来を見る力があるといっても過言ではない。

小学校の頃、よく占いが流行っていたから、遊び感覚で占いを始めたのが、私がよく手相を見るようになったきっかけであり、自己の能力に築いたきっかけでもある。

「ねぇ、私のこと占ってよ。」

「私は死に纏わることしか占えないわ。」

「それでいいの。私、もう長くないことは知っているから。」

「そう・・・。」

私が手相を見ると、驚くべき真実が発覚した。

「あなた本当に死が近いの?あと30年も生きられるわ。」

それを聞いて一瞬きょとんとしたあと、彼女は喜悦の声を上げた。

私は人の記憶が読める。

目を合わせた人の記憶が頭の中に入り込んでくるから、人と目を合わせて話すことができない。

それを知らない教師によく怒られたが、事情を認知している友人は攻めることもなく小ばかにすることもなく、温かく迎え入れてくれた。

人の記憶を読めるとはいっても目を合わせることが前提なので、使い勝手の良いところも悪いところもあるが、私にとってはメリットの方が大きかった。

もし目を合わせていなくても記憶が読めてしまったら、毎日がパニックになってしまう。

毎日が落ち着いていられるのは、これによる調整が効くからである。

人の思考だって、海馬にすぐ記憶としてインプットしているからほぼリアルタイムで人が何を考えているのかがわかる。

でもたとえ聞き取ったとしても私は他人にそれをシェアすることは一切しない。

誰だって内面は隠しておきたいものだから。

それを暴露されてしまったら、読める存在がいることを知ってしまったら人は清く正しく、無理をして生きようとすると思う。

まあ私に対して何か嫌なことをしてきた場合については仕返しとして暴露しなくもないと思うけれど・・・。

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